会派ベトナム視察にあたっての感想

 2018年5月23日から28日にかけ、福岡県議会「国民民主党・県政クラブ県議団」による「ベトナム社会主義共和国」視察を行いました。
 
 本年は、「日本・ベトナム外交関係樹立45周年」及び「日本・ASEAN友好協力45周年」という節目の年であり、日本とベトナム及びASEAN間における交流の更なる発展が期待される年です。

 このような記念すべき年に、会派視察としてベトナム訪問が出来たことは、今後の福岡とベトナムとの友好提携をさらに発展させるうえでも大変有意義なものでした。

 私は、ベトナム訪問は今回で2回目でした。最初の訪問は、今からちょうど20年前の9月で、「日本ベトナム特別大使」の杉良太郎さんがホストを務める『日越友好ハノイ−ホーチミン音楽祭』に出席する為でした。

 歌手・俳優の杉良太郎さんが初めてベトナムを訪れたのは1980年代後半。孤児の養護施設を訪れたとき、あまりにも粗末な食事を見て衝撃を受けたそうです。食べていたのは、わずかなご飯に草を混ぜたようなおかゆ。食べ物とは思えないひどいにおいだったそうです。そうした食事のせいか、みな栄養不良で背が低く、体躯が極めて悪かったそうです。

 そこで、杉さんは私財を投じ、日本語学校の運営、孤児の養護施設・盲学校への寄付など、ベトナム支援活動を始められ、今年で28年になるそうです。

 そして、これまで、杉さんがベトナムの孤児を里子にしたのは、今年9月で176人となるそうで、ベトナムに投じた私財は分かっているだけで17億円に上るといわれています。

 その後も、杉氏さんは日本・ベトナム両国の草の根レベルでの友好親善に貢献している他、「日本ベトナム特別大使」として、『日越友好音楽祭』、日越文化交流番組等の文化事業を通じて、日ベトナム両国民の相互理解促進に貢献されています。

 今回のベトナム訪問にあたり、20年前の思い出が蘇るとともに、新たな感想として「ベトナムの発展は目を見張るものがある!」ということでした。

 20年前のベトナムといえば、1975年4月30日の「ベトナム戦争」終結後、9月2日の「ベトナム独立宣言」。1976年7月2日「ベトナム社会主義共和国」国家樹立。1986年の「ベトナム共産党第6回党大会」で「ドイモイ政策」提起。1988年に中国との「スプラトリー諸島海戦」、1989年にはカンボジアから完全撤兵し、「カンボジア・ベトナム戦争」が終結。1991年に越中関係正常化。1993年2月にベトナムとフランスが和解。1995年8月5日、ベトナムとアメリカが和解と、まさに激動の時代を経て、独立国家として確実に歩みをはじめた時代でした。

 当時、「ドイモイ政策」のもと、〝近代国家の仲間入り〟を急速に進め、ハノイ市も、ホーチミン市も、市中心部に高層ビルや近代的なビルが立ち並び始めたころで、都市の大きな変化を遂げる時代でした。

 しかし、都市中心部の周縁にはバラック小屋がひしめき合って立ち並び、都市の貧困層に加え、農村地帯からの出稼ぎ労働者などが、まさに〝スラム〟を形成するありさまでした。街中でも衛生状態は悪く、ゴミの散乱や都市清掃の不備、下水の未整備など、近代と前近代が混然一体となったカオス状態でした。

 そうしたこともあり、ベトナムは「発展途上の国」というイメージを今日まで抱いていました。
 
 ところが、今回の会派ベトナム視察にあたり、ハノイ市、ホーチミン市をはじめ、ベトナム国内の主要都市、地方都市を視察したところ、これまで抱いていたベトナムのイメージが大きく変わり、ASEANのみならず、アジア・太平洋地域で近代国家として確固たる地位を確保しているということを実感できました。

 急速な経済発展は、国の様相を一変させ、地方や農村部でも都市化が進むとともに、街は綺麗になり、人々の暮らしも活発な経済活動の恩恵を受けて豊かになりつつあります。

 教育も進み、高校・大学への進学率も大幅に向上し、学術・文化の面でも近代国家として目を見張るものがあります。
 しかしながら、課題もあります。急速な近代化・都市化は、富む者と貧しい者との格差を拡大させ、社会的格差が増大します。また、都市部と農村部の地域格差・経済格差を生みます。
 
 今後、ベトナムは更なる経済発展を遂げると思います。言わずもなが、ベトナムは社会主義国家であり、ベトナム共産党による一党独裁制です。したがって、政府がこうした社会格差についてどのように対応・対策していくのか、非常に興味深いものがあります。ある意味、開発途上国、発展途上国の開発モデル、社会・政治体制モデルになり得る国です。

 このようなことを考えながらのベトナム視察となりました。

 以上、視察感想を報告します。